《総講法要》
12月6日(水)朝 昼 7日(木)朝 昼
川棚より西谷慶真師が来てくださいました。だがしかし、御法務の都合で初日のみのご縁となり、二日目は急遽田耕の岡智徳師が来てくださいました。写真は二日目のみ。
このころの若院は気もそぞろで上の空でしたが、ぼやっとしたものが目当ての御本願。
上の空でも称えれば聞こえてくるのは同一念仏。お二方とも変わらぬお慈悲を様々に聞かせてくださいました。
《納骨堂法要》
11月7日(火)朝 昼 8日(水)朝 昼
大分県より田中誠證師がお取り次ぎくださいました。
二十願十八願の立てわけを、自力他力の立てわけを、
真宗の肝要を情熱的に、快活にお話しくださいました。納骨堂法要。
ご先祖様、おかげさまでこの度は弘願の只中でございます。同じところへ参ります。
《仏教婦人会 聞法の集い》
10月15日(日)朝 昼
山口県下松市より森田義見師をお迎えしました。独特の間。聴くものを惹きつける話しぶり。布教使とはかくあるべきかと舌を巻きながら、いつしかお慈悲の中に浸からされているのでありました。先立たれた方が残していったものは、ひとえに南無阿弥陀仏のお念仏でありました。
大総代(写真左上)、仏婦会長(右上)のご挨拶。皆さんのおかげで勤まりました。
ちなみに同月22日には、お隣善光寺様で福岡の紫藤常昭師をお迎えして邦西組の仏婦大会があました。そちらも多くのお参りとともに楽しく有り難くお念仏のおこころを聞かせていただきました。
お盆《歓喜会法要》
8月18日(金)朝 昼 19日(土)朝 昼
佐賀県より藤谷隆之師を迎えて勤まりました。「苦悩の有情」とは、煩悩成就の私のこと。私が煩悩を抱えているのではなく、頭からつま先まで、遺伝子から細胞まで煩悩で出来上がったものが私でした。
ここに、そのものをこそ捨てられんと本願成就の阿弥陀様。必ず落ちるものを必ず救うとは。まことにたのもしく、ありがたく思いはんべり。夏の良きご法縁でした。
夏は暑いです。
午後は太陽が頑張りすぎるので庫裏に移りお聴聞。※上の写真
仏間には冷房が入ります。ご講師との距離も近づきます。親しみやすい雰囲気の中、聞こえてくるのは親の喚び声。
左写真はお斎での住職挨拶。近年導入された椅子席も活用されています。みなさんのお参り、まことに有り難うございました。
《作り上がり法要》
6月17日(土)朝 昼 18日(日)朝 昼
山口県、小郡、蓮光寺より岡本達美師を御講師としてお招きし「作り上がり法要」が厳修されました。
南無阿弥陀仏のお六字を本願招喚の勅命と示された御開山親鸞聖人。そのお心を様々なお譬えと、ハツラツとしたお話ぶりで、飽きることなく聞かせてくださいました。この身に備わった信の種、必ず実を結ぶと決定の上は、ご恩報尽の念仏と慶ぶばかりです。
《御開山親鸞聖人降誕会》
5月21日
※「海音」第18号より抜粋
《春の照蓮寺一泊旅行・佐賀徳常寺巡番報恩講参拝》
3月30日〜31日
※写真、押せます。
佐賀県、徳常寺(若院姉の嫁ぎ先)に於ける巡番報恩講への参拝旅行が敢行されました。
法要のご講師は当山照蓮寺住職。ご門徒の皆さんといつもとは違うお寺でのお聴聞。
聞こえ方は新鮮なれど、変わらぬ御慈悲でありました。
あと色々行きました。皆さんのおかげによって楽しく無事に行ってこれました。
《永代経法要》
2月17日(金) 朝席 昼席 18日(土) 朝席 昼席
19日(日) 朝席 昼席 20日(月) 朝席
《ダイジェストムービー》
※注意 音が出ます
照蓮寺永代経法要も皆様のお陰をもちまして無事つとまりました。
御講師は、下関市吉見、光善寺、二木文生師。
『大無量寿経』第十八願のお言葉に依りながら、親さまの欠目ないお慈悲を諄諄と聞かせてくださいました。
この度の永代経法要。本堂に足を運ぶご縁をくださったのは、
南無阿弥陀仏に出遇うご縁をくださったのは誰であったか。
あの方のおかげ、この方のおかげ、それも阿弥陀様のご恩のうちでありました。
皆皆さま有り難うございました。
《御開山親鸞聖人御正忌報恩講》
1月13日(金) 朝席 夜席(中逮夜)14日(土) 朝席 昼席
15日(日) 朝席 夜席(大逮夜)16日(月) 朝席 昼席
《ダイジェストムービー》
※注意 音が出ます
照蓮寺御正忌報恩講。今年も盛大につとまりました。御講師は、下関、常泉寺、井上龍秀師
御開山様九十年の御生涯。その生涯のご苦労は『御本典』六巻を 顕さんがために。
ひとえに南無阿弥陀仏のお救いを我々に告げんがためでありました。
3分間で、この度の報恩講の大体がわかります。
※注意
当初のBGMが著作権上の都合のため使えなかったので、差し当たりそれと同等の演奏時間の曲に差し替えました。
当初の曲は、哀愁の漂う、御正忌を思い起こすに、当たり障りのないようなものでしたが、
現在の曲は、何ともアンニュイな空気を醸し出す、当たり障りのありそうなものとなりました。
しかしそんな空気も含めた御正忌であり、よろこぶべきことをよろこばぬこの心を、
ことに憐れみたまふ弥陀のお慈悲であるならば、この感じもまた一つの味わいとなるのではないのでしょうか。
気に触る方は音量最小でご覧ください。
《修正会》
1月1日・元旦 9時半より
一年の始まりは、ご尊前にて。今年はどこへ向かうのか。今年も変わらぬ弥陀の喚び声に導かれつつ。
一日一日お浄土への確かな歩みを進めてまいります。ようこそお参りくださいました。